戦略は歌いながら
佃直樹(つくだなおき)さん
直樹さんは歌いながら走ります。レースで知り合いに会うと大声で鼓舞します。
心からの楽しみと周りを巻き込むエネルギー、爆発力。それでいて自分を社会でどう位置付けるのか、常に選択肢を複数持つ客観性と選択への合理性を持ち合わせます。
今でこそ主要なレースで上位にくる直樹さんですが、走りはじめは2kmで膝に痛みがでてしまいます。でもそこからの伸びの角度が普通ではありません。
サッカーの経験から社会人になって走り始めるまでの分析と決断と行動。たくさんの学びがそこにあります。
ランニングを始める
「社会人になって3年目が終わろうとした時ぐらい、プライベートで落ち込んだ出来事があって。ちょうどその3年間は運動を何もしていない時期で、大学サッカーが終わって燃え尽き症候群みたいなのもあって、お酒を飲んでは夜中にラーメンを食べるみたいな生活を続けていて、体重が10kgほど増えたんですね。そんなタイミングで(美容師で現在のランニングチームのチームリーダーでもある)英樹さんから、走りにいくぞ、って言われて走り始めました」
「それで次の週に英樹さんの仲間の何人かと奥多摩に走りに行くことになったんです。そこに休みをとって参加したのが走り始めたきっかけになります。ロードを2kmくらい走ってトレイルに入るというコースだったんですけど、その2kmで膝が痛くなってしまって。トレイルに入ってすぐの登りで今度は腸脛が痛くなってしまって、もう全然、初トレランなんですけど、ランはせず、というような感じで」
「自分はサッカーに打ち込んでいて、それも走りが得意なタイプのサッカー選手で、それが女性ランナーにもついていけず、楽しいというよりもあまりの走れなさに悔しいというような体験でした」
その後ランニングにはまっていくことになります。
「奥多摩でのトレランの直後にやはり英樹さんからゴビ砂漠のレースに誘われて、お酒に酔った勢いもあってその場でエントリーをしました。エントリーをしたのが大会の3~4か月前くらい。そこから練習を始めます。最初は3キロで痛くなっていた膝が4キロ、5キロと距離が伸ばせるようになっていって。それも面白くて練習を続けました」
「レースは、ゴビ砂漠250kmを6日間で走り切るステージレースです。水と寝る所は提供されますが、食料などは全て背負って走る必要があります」
そこでいきなり年代別20代の部で1位となります。ちなみに英樹さんも30代の部で1位。
翌日にモンゴルのホテルで表彰式が行われます。
「そこでフロムジャパンという紹介とともに選手名が読み上げられて、それが気持ちよくって、そこでどはまりしましたね」
それが2019年の夏のことでした。
「次に出たのが韓国の50キロのレース、ゴビであった選手にその韓国のレースディレクターがいて、その縁もあって声をかけてもらいました」
そこに招待されていた他の日本人ランナーとの交流も楽しく、トレイルランニングの魅力を更に感じるようになります。
「その次が初100マイルで香港だったんです。次の4回目のレースでようやく日本のレースという形でした、それが奥飛騨トレイルになります」
「その後バックヤードウルトラには2020年と2021年に出場。2020年は27周、2021年は15周という成績でした」
ランニングで結果を出すための秘訣は?という質問には2021年のバックヤードでの経験と絡めてこんな風に話してくれました。
「ファンの要素をしっかり持つ、しっかりと楽しむ、それが自身の良さでもあるしパフォーマンスにもつながります。必要以上に歌を歌ったりしゃべったりする方が良い結果が出ます。とにかく楽しむ。メンタルのスポーツだとつくづく思っています。心持ちがとても大切」
「2021年のバックヤードの時にすごくそう思いました。前年27周を走り、更に伸ばせると思って臨んだ大会において15周で終わってしまった。その年はエネルギー消費を抑えようとあえて歌ったり叫んだりを封印して大会に臨んでみたんです。でもそれがうまくいかなかった。温存して体力はセーブされているはずなのですが、これがただただ面白くなくって。なんかおもんない、なんかおもんない、と思っていると、ちょうど足に痛めていた箇所があって、その痛みが強くなる一方になってしまって、それもやはりメンタル面から来ていたと思うのですが、それで15周でのストップということになってしまいました」
この経験から、スタイルを曲げてはいけない、ということに気付きます。自分を殺して走ってはいけない、その時は本来のスーパーハイな自分がどっかに行ってしまった、と。
サッカーの生活から社会人へ
「次男で兄貴が3つ上にいて、兄貴が通うサッカーの少年団についていって、自然とサッカーを始めるようになりました。そこから大学卒業までずっとサッカー一筋でした。プロのサッカー選手を目指していたので、サッカーを中心に据えた生活、高校や大学への進学を考える時もまずサッカーありきでの選択でした」
小学校から高校までは常にキャプテンを務めます。
ポジションは長友選手への憧れもあってサイドバック。ここでも強みはランと味方を鼓舞するチームの雰囲気づくりでした。盛り上げ役でもあり、キャプテンシーも発揮します。
「自分が楽しむことで周りも楽しくなる、と信じています。そしてそれがパフォーマンスにもつながる。声を出すこと自体も好きです。周りのいいプレーを声に出して讃えたい」
日本一のタイトルを複数回取り、チームメイトにもプロになっていく選手がいる大学で、自身もプロサッカー選手を目指していましたが、腰の怪我もあり断念します。
ところで、サッカー選手を目指す一方で、子供のころの先生の影響もあって教員への道もイメージにはありました。常に複数の選択肢を持つという心がけは子供のころから意識していることのひとつですとのこと。
サッカー選手を断念し、教員への道も考えの中にありましたが、サッカーしかしてこなかった自分はより社会のことを知る必要があると考え、就職活動の一環としてOB訪問をしていきます。
「年間100人くらいの方と会いました。会った人に別の方を紹介してもらったり、面白いと思った本などを聞いて。それをひたすら繰り返しました。そのプロセス自体もとても楽しかったです。そうするうちに自分が大切にしている価値観というものが把握できるようになってきました」
そうしていきついたのが現在働いている大手通信会社になります。
100人と会って、話をして、自分がサッカーというスポーツが好きな理由を理解して、その価値観を当てはめた会社を選ぶ、とても行動的で合理的です。
「自分がサッカーを好きな理由は、その【選択肢の多さ】にあります。どこにパスを出すか、ドリブルで進むのか、その選択肢は無数に存在します。点を取るというゴールはあるけれど、
そのためには何をしても良い、その自由度がとても好きでサッカーを選びました」
「仕事における自由度って何かと考えたときに、現在の会社には最先端のIT商品やサービスが3000以上ある、これを自由に組み合わせて、利益や、お客さんの満足度というゴールを達成できる、これってサッカーと同じだなと。その考えに至ってこの会社を選びました。」
目指すところとモチベーション
「ランニングには、マインドフルネス、精神を安定させる効果があると思います。素になれる、より人としてピュアになれる瞬間、という風にもとらえています。本来の自分に戻っている感覚、特にトレイルを走っているときにそう感じます。自分にとってとても大切な時間となっています」
「60歳70歳になっても走り続けたいです。スタイルを変えずに」
「出場するレースでは一つでも上の順位を目指します。自分の中で決めている基準があって、それは仕事でもレースでも同じなのですが、上位1%に入る、そこは一つ決めているところになります」
直樹さんは、楽しみは自分の内側からくる必要がある。楽しさは与えられたくない、と思っています。
「トレイルを走ることには自分の内側からくる楽しみがある。どんなペースで走るのか、絶えず変化する路面状況に応じて瞬時に判断してランをすすめる。その選択も無限大で、やはりここにも自由があります」
人として目指すものはとの質問には【人間力】だと即答します。そしてトレイルランニングは人間力に通じると。
「しんどいとき苦しいときに、どう振る舞うか、がとても大切だと思っていて、そこにこだわりたいと思っています。それをずっと大切にしていて、ピンチの時にも楽しめるマインドになってきました。そしてそれを培ってくれるのがトレイルランニングだとも思っています」
冷静な自己観察と論理的な帰結。論理的な帰結として感情が大切と理解し、それを非論理的に表現しきる力。考えるときは考える。感じるときは感じる。歌を歌って楽しみながら今日も長野の山を走ります。
Profile
佃直樹さん
29歳 兵庫県姫路市出身。小学1年から大学4年まで16年間、サッカーに明け暮れる。 大学卒業後、上京し通信会社へ就職、法人営業に従事する。 社会人になり、3年間の全く運動しない期間を経てトレイルランニングにハマる。 チキンハートランニングチームに所属し、国内外のレースに出て 「口角を上げて走る系ランナー」として活躍を目指す。 戦歴: 2020年、2021年 OSJ KOUMI100 年代別1位(100mile) 信越五岳トレイルランニングレース2022 7位(110K) スリーピークス八ヶ岳 6位 Doi Inthanon Thailand by UTMB 21位