泥んこ遊びのいきおいで

小泉遥菜さん

はるなさんは埼玉県で生まれ育ち、大学は関西へ、卒業後東京で就職しました。数年間働いた後に長野県茅野市に移住をします。

考え方のベースをしっかりと持ちながら、直観も信じて、軽やかに、楽しそうに前に進んでいきます。

はるなさんの周りにはいつも人が集まります。

そんなはるなさんがこれまで進んできた道とランニングとの関わり合いについてご紹介します。


これまでのこと

「今とあんまり変わっていません。小さい頃から自然の中でずっと泥んこになって遊んでいる感じでした。両親の方針もあって、小学校を2週間休んで山にこもったりすることもあったりして。服は汚して帰ってこい、って言われてました。ずっと外で遊びまわって。外で遊ぶのがただただ楽しく。身体を動かすことが楽しいっていう感覚はそのころからでした」


「スポーツもずっとしていました、部活は10年続けた水泳と、高校まではチアも、あとはミニバス習ってみたり、駅伝も選手として走っていました。学校でのマラソン大会の上位入賞者が駅伝選手に選ばれるんですけど、選ばれると授業免除で練習することになります。それで選手に選ばれるようマラソン大会前には自主練習もしていました。授業より練習の方がずっといいと思っていて。結局駅伝は小学校から高校までやっていました。この辺りのベースがあって今につながっているかなとは思います」


「子供のころは大人になったらイルカの調教師になりたかったです。だからずっと水泳やめられなくて。高校くらいまで思ってました。でもなぜか途中で“すん”ってなくなりました」


学校の選び方は語学と自然がキーワードになります。


「シンプルに語学がやりたかったです。英語が好きで。小学校2年生の時にハワイに行って、そこで知らない言語に初めて触れて衝撃を受けて。この言語がどうしたら理解できるようになるのかに興味を持ちました。それが英語との出会いでした」


自分で探した自治体の英語教室に小学生時代から通います。中学でも高校でもずっと英語の勉強には集中して取り組んで、英語の成績はずば抜けて良かったとのこと。その流れの中で大学も外語大への進学希望があったのですが、東京でのコンクリートに囲まれた生活には気が進まず、関西にある外語大に進みました。


「大学では、第1外国語にスペイン語、第2外国語で英語を専攻しました。英語とスペイン語と中国語が話せれば世界のどこでも生きていけるという話も聞いて、スペイン語を選びました。大学ではそれまでにないくらい一番勉強したんですよ。スペイン語についても聞くことと書くことはある程度できるようになって、卒論もスペイン語で提出しました」


「英語の方は、長い休みのたびに海外に行って、例えばフィリピンに3か月いて旅行系の会社で働いていたりと。なので実用的な部分では英語の方が伸ばせたと思います」


卒業後は提供するサービスにほれ込んだという東京のベンチャー企業に就職します。担当はマーケティング。自分の好きなサービスを世に広められる仕事はとても楽しくやりがいがあり、会社のみんなで議論して進めていくプロセスもとても面白かったとのこと。でもコロナの時代に入ってしまい、ちょっと会社の方向性も変わってしまって、それで退職することを決めます。


「もともと社会人を3年やったら海外に行こうと思って貯金もしてまして。お金もあったので2か月ほど気合をいれて遊んだらそれも楽しくて、それまでは、副業もしていて3年間土日も働いていたので、遊ぶのってこんなに楽しいんだと。貯金がなくなるまで遊んでやれと」


「遊ぶ他にはちょうど始めていたランにもさける時間がたっぷりとできて、そのころに月間200キロとか走るようになりました」


しばらくそんな生活を続けていたところに長野行の話が出てきます。茅野市でカフェを営んでいた知人がしばらく留守にするのでそこを引き継いで運営してくれないかという依頼がはるなさんに届きました。

遊びの中には山に登ったりキャンプをしたりというアクティビティも結構あり、東京に居る意味もあまりないようにも思えて、移住を決めます。


「もともと高校生くらいから将来的には長野に住みたい、と思っていて。その時はリタイア後のイメージだったんだけど、それを少し早めるだけのことかと。それでパートナーにも相談して長野への移住を決めました」


そうして2022年にそれまでのカフェナイッスを引き継ぐ形でカフェアルッスを開店します。

カフェ自体は2022年末までの営業でいったん終了。ただ長野でのアルッスとしての活動は続けていくとのこと。今後の活動に注目です。


「色々とプランが進行中です。なんかちょっと違う形で働こうかなと。いろいろなことをやってみて、いつかそれが交差する、みたいなのも面白いなと、そんな風に思っています。もう1回社会人にもどって馬車馬のように働くのもありかもしれないし。アルッス活動では、ゲストハウス、物販などにフォーカスするのもいいかもしれない、とかとにかく色々と探っている最中です」


ランニングとの出会い、かかわり方

「ずっと英樹さん(美容師でランニングチームのチームリーダーでもある、以前のタヌキネイバーズに登場)に髪を切ってもらってて、25,6歳の時に30歳までにもう一度運動する習慣をつける必要があると思って、身体のことを考えて、で、なんかないかなと英樹さんに話したら、ランニングチームのことを紹介してもらいました。それで練習に行ったんだけど、しんどすぎて、それから3か月は一旦走ることをやめて、そういうトレーニングをイメージしてなかったので。そのあと一人で走り始めて、それほど厳しくないときにチーム練習にも参加して。そんな風に走り始めました」


それが今から2年くらい前。コロナの第一波のタイミングでした。


「最初の目標は1日3キロを30日間やり続けるというものでした。それで月間100キロくらい。これを半年くらい続けていたら走ることに抵抗がなくなって、1日3キロだった距離を10キロにしました。10キロを10日間で100キロ。それで距離がどんどん長くなって。もっと長距離を走っているチームの他のメンバーにも誘われるようになって、チームが開催した草レースで多摩川沿いを50km走る、多摩リバー50Kというイベントに参加しました、行ってみよー!っていう感じで走って、何とか完走しました。そこからいろいろとレースやトレランに誘ってもらって。それで走る人生になっています、今」


「出走予定だった100キロのレースがコロナの影響で中止になってしまって、それで自主で多摩から甲府までの100キロを走ってみました。

こんな風に30歳までの運動の習慣は手に入れたんですけど、100キロのレースを目指す過程では月間の走行距離も250キロとかになってて、そうするとなんか、逆に健康によくないというか、ちょっとおかしいなと思って減らしたりもしました」


長野に住むようになってからは畑仕事がメインでそこまで走っていないとのこと。でも走って気持ちのいい場所はたくさんあるので、友達が来た時なんかに一緒に走っているそうです。


ランニングのどういうところが好き?という質問にはこんな風に答えてくれました。


「無になれる。ストレス発散というか、シンプルに汗をかいてすっきりするというのもあるし、楽になれる、何も考えなくていいし、それまで考えていたことも忘れられるし。そういう感じかな。だからストレスがあると走る感じでした。特に東京にいたころには」


「やっぱり無になれる感覚が好きなので、あまり急な登りなんかだと、無になるというよりもしんどい、が勝ってしまって、だからあまり好きではありません。基本的には自分が楽しいと思える強度でのランばっかりしています。その状態が続くならもっと長い距離も走りきれるのかも。自主100キロの時もずっと楽しかったから。楽しいで終わった」


はるなさんはあまり将来の目標をたてたりするタイプではありません。


「目標みたいなのはないんですが、しいてあげると最期のイメージはあって、古民家の縁側で笑いながら死にたい、そんなイメージは持ってます。笑い転げて死にたい。そんなゴールは持っています」


「楽しくするのも自分だし、つまらなくするのも自分なのはわかっている。自分で選んだことは面白がってやろう、ということは決めています。面白いことを外に探しに行くということよりも自分が今行っていることを面白がろうという意識で」


興味があること、挑戦したいことを自分で選択する。そして選択したことを楽しむ。そのシンプルな強さに惹かれて周りに人が集まってくるのだと思います。

あとはひとつひとつの選択がとてもセンスが良いとも感じます。彼女がそこに居る。彼女が選んだものとともに。大きな可能性を感じます。


「スペイン語で生活してみるという経験がなくて。だから行きたいんですよね、もちろんスペインもいいし、南米とかも。山もあるし。アルッスでスペイン進出しちゃったりして」


Profile

小泉遥菜さん

埼玉県生まれ。京都外国語大学卒業後、東京に上京しITベンチャーに3年勤務。その後マーケター兼デザイナーとして独立。 2021年、全ての仕事を辞め、長野県茅野市に移住しカフェアルッスをオープン。 長野でのんびり、のほほんと、自由にヘルシーに。心が向くままに遊び、働く。